旭日双光章 受賞

                           お礼のことば

 私、谷口巳三郎の熱帯地方に於ける農村開発及び人類生活の為の努力の活動に就いてのご支援に就いて―― 平成19年度(2007年) 日本政府の「春の叙勲」の受賞の決定に因んで――

平成19年度の日本政府の内閣府賞勲局を通じて「春の叙勲」を私にも授与される事が決定しました。その叙勲は私儀 谷口巳三郎が1983年に渡タイして以来約25年の間に主に北部タイ及び世界の最貧国にランクされている東南アジアのメ・コン河エリアの国々の農村開発・農村青年教育の努力に対して、又日本よりの大学.高等学校.中学生を年間数百名を受け入れての啓蒙活動に対して評価されたもので、北部タイのチェンマイに有る日本総領事館が日本政府に働きかけられて叙勲が決定されたものと聞いております。
 私が20sの鞄一つ下げて、タイのバンコク空港に降りたったのが1983年2月1日。
今日まで25年経ちました。発展途上国の農業開発を目的とした私個人が作り出したプロジェクトです。その間の経費は日本の2つの支援団体より2億4000万円、日本の特志家の方々より2500万円、日本ODAの草の根郵政省貯金利子資金等より1159万円、総合計で2億7000余万円で、その間タイ国よりの支援は6万バ−ツ(18万円)でした。
 私のプロジェクトは十二分の成果にはほど遠いものでありますが、平成19年の今年は
日・タイ国交120周年に当たり、その記念事業の一つとして、此の両国の友好に貢献した事業を探していて、私のこのプロジェクトに白羽の矢が立ったという事のようです。
此の話が持ち出されたとき、“他にもっと成果の上がった例は有りませんか”と一応は辞退申し上げましたが、長い間私を支えて下さった多くの方々へのお礼の気持ちを、この受賞によって表現出来ればと考え、最終的には受諾致した次第です。
 受賞は去る5月11日に日本の外務省にて外務大臣より賞状と勲章を授与され、後皇居に移動し天皇に拝謁という段取りでした。妻も同伴しました。外務省関係の受賞者は26人でした。
 以上の如き叙勲の式典に出席の為、私は4月24日より5月25日まで、一ヶ月間帰国しました。丸3年振りです。日本という国の社会に於いて、「叙勲」というものの価値・評価がどういうものか今までは全くの他人事と思い、何処か遠い社会の催し事ぐらいにしか考えていませんでしたが、この様に突然に、しかも吾が身にふり掛かって来れば多少戸惑いも無いではありませんが、今更大袈裟に振る舞い、声高に言いふらす年齢でもありますまい。ただこの礼状の初めに書きました如く、あなた様が、今まで私を支持し、お力添え下さった事に対して「この様に日本の社会より評価されました」と、お礼の言葉を述べさせて頂き、それを御収納下されば有難い極みです。

最後に二言 “それでも私の人生は未完に終わる”。“私は25年の間に、地球に10余万本の木を植えた。あなたは去年一年間に何本植えましたか?”

   平成19年(2007年)5月吉日
      敬白 谷 口 巳 三 郎

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